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晶子レター

代表が最新情報をお伝えすると共に、毎日に全力を尽くす意味合いや
季節の移ろいなどの想いを月1回配信しています。

3月のレター

 暖かな日差しが春の訪れを告げ、花見月と呼ばれる3月は梅・桃・桜をはじめたくさんの草花が咲き誇り、15日を過ぎると確定申告の仕上がりも重なり、香りと達成感に満たされ心が豊かになるのを感じます。桜の花を愛でながら美味しい美酒を嗜みたいのですが、日中は走り回っているため通りすがりしか桜を見ていません。じっくりとなると夜しか花見ができないのですが、花冷えで寒く外でのお花見は短時間しか無理です。そこで、私は梅と同じことを考え、決して大きくならず毛虫に悩まされぬように一寸桜を南庭の隅にこっそり植えてみました。これまた一年越しに花は咲いたのですが、残念ながら2,3輪しか咲かず花見には程遠く、私が夢想していた家の中からガラス越しで見る温かい花見宴はできません。いつか家の中で、小さな小さな空間だけれども満開の桜の花を愛でながらの晩酌のひと時を過ごせればよいのでしょうが、どうなることやら。そんなことを考えていますと、セミナー帰りに訪れた桜満開の姫路城を思い出しました。

国宝であり、世界遺産にも登録されている姫路城には、ソメイヨシノを中心にシダレザクラ、ヤマザクラなど約1000本の木が植えられており、「日本の桜の名所100選」にも選ばれています。改装されさらに美しくなった天守閣や白壁に桜の美しさが映え、他では見られない圧巻の景色に心打たれ、三の丸広場に咲き誇る桜の風情と共にとても見事で、日本の誇る城と桜を満喫させていただきました。

姫路城の他にも桜が美しいお城は日本にはたくさんあり、今ではお城と言えば満開の桜に彩られた風景が脳裏に浮かびますが、実はお城に桜が植えられたのは明治時代以降のことです。1873年(明治6年)の廃城令で大半のお城が取り壊され、廃城処分で民間などに払い下げられた際、市民に公園として開放されるようになり桜が植えられたお城が多いそうです。江戸時代までは敵に攻められた際、樹木は視界を遮り敵にとって絶好の隠れ場所になってしまうため、お城に樹木は植えられていませんでした。江戸時代に描かれた城の絵を見ても樹木が確認されるものはほとんどなく、あってもほんの数本です。それも万が一のときに食糧や薬、燃料になる松、椎木などでした。映画やテレビの時代劇で桜に囲まれたお城を見た場合、それはまさにフィクションであり、城の周りの桜は城主の栄華の象徴のように見えますが、実は本来の城としての役目が終わってから国民のために植えられたものなのです。

この姫路城ですが、どういうわけか時代劇が好きであった父母とテレビで見ていた江戸城にそっくりだと思っていましたら、この間見ました「ブラタモリ」でその理由がわかりました。皆様はとっくにご存じだったのでしょうか。

姫路城は江戸城として時代劇のロケに使われることが圧倒的に多く、父のお気に入り番組だった「水戸黄門」、母のお気に入り番組だった「暴れん坊将軍」など、姫路城は私が見ていた江戸城だったのです。暴れん坊将軍のエンディングで、上様を先頭に衣冠束帯の行列が降りてくるシーンは、まさにこの姫路城の将軍坂だったのです。ブラタモリを見ながら、父の膝の上でチョコンと暴れん坊将軍や水戸黄門を見ていた娘の姿がまざまざと目に浮かんできて、懐かしかったです。

姫路城は、外壁を白い漆喰で塗り込めることに加え、屋根瓦の目地にも白漆喰を使用しています。真っ白な天守群がそびえ立つ姿がまるで白鷺が翼を広げたように見えるということから別名「白鷺城」と呼ばれています。黒い板塀の城が一般的であった時代に、漆喰による耐火性の高い画期的な白鷺城を徳川家康の近臣であった池田輝政が作ったのは、豊臣秀吉がかつて同じ場所に建てた黒いお城の豊臣時代は終わり、徳川家康の時代だということを印象付けるためであり、江戸城を模して作り、西の毛利に睨みを利かせたということです。この漆喰のおかげで、第二次世界大戦時の空襲でも姫路城の天守だけが焼けずに残ったと言われています。日本で現存する12天守の一つとして、今も立派にそびえ立つ姿は私たち日本人にとってとても誇らしく、改修工事を終えた立派な姫路城にパワーを頂きに再び訪れたいと思っております。

春とは申せ、朝夕はまだ寒さが残っておりますが、暖かくなるにつれ体も柔らかくなってまいります。春遠からじ花々を楽しみに、日々お体をご自愛のうえ、お雛様の3月をお過ごしくださいませ。

今月のイラスト